「宮水」の水

(財)大阪市都市工学情報センター 池田 順一

菊正宗のページで宮水についての紹介があります。

http://www.kikumasamune.co.jp/miyamizu/

成分比較(一例)

 

宮水

一般井水

硬 度

9.0  

5.0

カ リ

18.5  

7.9

リ ン

2.0  

0.2

クロール

46.0  

24.0

0.003以下

0.05

単位はppm:100万分の1を表す単位)

となってます。

これ以外の微量のミネラルも影響しており、西宮の宮水は神秘のベールに包まれている井戸水です。

宮水の井戸はごく一部のエリアのかぎられており、今回訪問しました宮水の郷 白鷹禄水苑の周辺500*1000Mの範囲とされています。白鷹、菊正宗等が各社が水源を保有しています。

仕込み水の成分がこのように異なることで、銘酒のブランドを築き上げてきた宮水は関西ブランドの中枢としての力量を備えているといえるでしょう。

水技術はこのように狭いテリトリーでの見えにくい情報に依存しながらも商品としては世界でトップレベルの作品を送り出してきました。

そのイメージを結集したのが今回訪問した白鷹禄水苑といえるでしょう。

http://www.nishi.or.jp/homepage/kanko/sakemap2/hakutaka.html

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「灘」のブランド

龍谷大学  寿崎かすみ

日本酒の需要低迷、地酒ブームの中で「灘」が全国ブランドであることが裏目に出ているという事実を知ったことが今回の研究会の最大の収穫である。

研究会のあとで、インターネットの検索エンジンで私の地元の酒造を調べた。子どもの頃、どこまでも続く黒い板塀の中の別世界と思っていた酒造がHPをつくり、酒蔵の中の建物をイラスト入りで紹介していた。黒い板塀の向こうの別世界が急に身近に感じられた。インターネット販売も手がけていた。この情報発信の手段の変化が地酒ブームを支える一端となっており、「ブランド」の意味を変えることの一翼を担っている・・・と考えるのは妥当であろう。

まちづくりの中でブランド化を考えるには、地場産業、既存のまちなみをどのようにして特化するかを考えざるを得ないが、この情報発信手段の変化を逆手にとり、顔の見える関係を「しかける」ことが必要だということをあらためて考えた。

魚崎郷清流プラザ会議室 にて

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磨り減るブランド

樺n域未来研究所 樋口 清士

今回、「地酒ブームの中で『灘ブランド』が逆に災いして売れない」という言葉が印象的であった。かつての酒造りのメッカとして名を馳せた『灘』が、各メーカーの集中と大量生産型の酒造りの中でそのブランドを磨り減らしてきたのではないだろうか。このことは酒蔵の町から酒造りの工場地帯へとまちが変容してきたことと無関係ではないと思われる。

先日、集客をテーマとしたシンポジウムで長浜市の笹原氏(元黒壁社長)から伺った「集客力を高めるためには文化を継続的に高めることが大切である。」という言葉が思い出された。

灘では酒をたくさん造り売ることはしてきたが、時代に合わせて酒文化を高めてこなかった結果、ブランド力を弱めてしまったのではないだろうか。

震災の後、各酒造メーカーの展示施設や物販施設の整備が相次いでいる。昔から引き継がれている酒文化を伝えたり、そこでしか飲めない一品を飲ませたりと、日本酒離れに歯止めを掛ける努力が進められている。しかし、大手メーカーが挙って同じ方向を向いて動き出していること、またこのような取り組みが各メーカーの施設の中だけで展開し、まちそのものへの広がりが未だ見られないことから、またもやブランドを磨り減らすのではないかと心配される。

とは言え、各施設で試飲した格別に美味い絞りたての酒、白鷹禄水苑の若女将の言葉の中に感じた酒造りの歴史など、商業主義によって磨り減らされない確かな何かを持った地域であることは間違いない。新しい「酒どころ 灘」のブランドを創造するために表層的ではなく、酒文化の奥深さを伝え、さらに高める地道な取り組みを積み重ね、まちに浸透されていくことが必要と思われる。

白鷹禄水苑にて総合プロデューサー
辰馬 朱満子さんからお話を伺う

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灘の酒蔵めぐりから

大阪産業大学 田中 みさ子

 今回の事例研究で最も関心を持ったのが日本酒造りの衰退から見える日本的なものの衰退である。ここ数年来ジャパンブームが喧伝され、欧米で日本料理がもてはやされたりしている一方で本家の日本に日本的なものが急速に消え去りつつある。とくにそれが顕著なのが震災を受けた地区だろう。

私は奇しくも震災前に同じ場所の酒蔵めぐり見学会を経験しているが、当時古い酒蔵があちこちに残っておりまだそれらしい雰囲気が漂っていたように思う。しかし今回の街歩きでは特色のないありふれた工場地帯の中に点としていろいろな施設が立地しているだけで酒蔵の街としての趣をあまり感じることが出来なかった。

以前、ドイツのとある町で戦災で焼失した街並みを往時の写真や図面を駆使して全く元通りに再建した事例を見学したことがある。もちろん別の地区では戦災復興で全く新しい市街地をつくったりもしている。そこでは無くなったものを全て昔のままに作り直すことが、全く新しい市街地を作り出すことと同等の価値があると考えられているのである。しかし日本では重要文化財でも無い限り元通りのものが建つことは無いし、また普通の市街地の再建の多くは個人頼みである。灘でも文化財の酒蔵は補助を受けて再建されたが、その他の酒蔵では再建できなかったものも多いという。

自然環境の分野では従来から重要な森林の保全などの政策が行われてきたが、身近にあった自然については特に省みられてこなかった結果、その多くが失われてしまった。まちづくりでも同様のことが起きている。継続した時間軸の中に存在し人々が日常目にしてきたり感じてきたものに価値をもっと見出すべきではないかと思う。

酒蔵の道に設置されたモニュメント

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「酒蔵めぐり」の印象

(有)アイ.ディー.ピー 佐々木 礼子

 震災から一段落して、酒蔵のまちに足を踏み入れたのははじめてである。瓦礫の山となってからある程度まちが復興するまでは、調査のために何度も足を運んだ。当時は全く目にも留まらなかったが、このたび久しぶりに酒蔵をめぐり、目についたのはいたるところにある鳥居やお社。震災前は酒蔵と対で馴染んでいたこれらの点景が、まちなみの変化に伴い、取り残された所以であろう。このような光景に「神・酒・ブランド・まち」というキーワードが頭の中を錯綜する。

元来、酒というものは神の存在とともに発展した文化ではないか。それは神道に限らず多くの宗教についても共通する。とくに国家宗教という概念は民族そのものの心の象徴であり、ブランド意識の高い宗教であるように思える。聖書には葡萄酒は血となると書かれているが、では、日本酒はどう位置づけられるのか。日本国民の祖先をお祭りする神社のお神酒である。そう考えると、神社の象徴である伊勢神宮のお神酒を製造し続ける白鷹のご主人が、「かつて日本酒は庶民の飲むものではなかった」と語った言葉にさらに深みを感じ、日本国民として日本酒そのものにもブランド性を感じる。震災に塗り替えられ、工場と化してしまった立体近代蔵、追い討ちをかけるように地酒ブームに押され、ブランドイメージの衰退が囁かれる今日でも、白鷹や歴史的な事件に登場した剣菱は、誉れ高き酒蔵ブランドとして評価されていることが救いである。

ところでそのお神酒を製造する酒蔵のまちには、やはり大きな神社があり、敷地内には必ずお社が祭られている。さらに酒蔵に入ると工程毎に違う神をお祭りするお札が貼られていた。酒は生きている。その命を吹き込む工程の部屋には、やはり期待どおりお札が貼られていた。何とも徳を得たような発見である。

酒造り絵図(菊正宗酒造記念館)


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日本酒を飲みましょう!

兵庫県  難波 健

 今回の企画に取り組む中で、灘五郷について少し勉強した。西郷、御影郷、魚崎郷、西宮郷と今津郷に、この時点で36社の酒造業があった。私に意外だったのは、西宮郷が13社と一番多く、江戸時代も西宮の宮水を船などで御影や魚崎に運んでいたという。酒蔵は、六甲颪を受ける北側では冷やす作業、海側は発酵などの作業スペースという合理的なつくりがされていた。

 こういった酒づくりの歴史、科学を勉強しても酒の文化には何の役にも立たない。文化は生きている人のもので、それをどう享受するかは、酒を飲むことにつきる。

 まちなみをつくることは、住んでいる人がいいまちなみにすることをどう考えて、それを実現していくかに懸かっており、机上で学び、役所が旗を振っても何の役にも立たないと同様に、酒を飲まずに酒の文化は語れない。

 今、NHKの朝ドラで「わかば」をやっているが、ここで出てくるのは焼酎。以前「はいからさんが通る」では酒蔵が取り上げられ、「ちゅらさん」では泡盛だった、メディアも節操がない。

 相撲取りは、「自分の相撲を取りきる」という言い方をする、はじめは変に感じたのだが、勝負でありながら相手は関係なく、自己完結する勝負というところに日本らしさがある。戦でも、卑怯な戦法で相手を倒すより潔く自刃することを由とするのも自己完結型の日本らしさであり、日本らしさのあるところには日本酒のイメージがちらちらする。

 さっぱりとした切れ味のいい蒸留酒に対し、芳醇な味わいはやっぱり酒である。生まれてから今まで、どれくらい酒を飲んできただろうか、そしてこれから、どれくらい飲むのだろうか。

 おいしい酒を、気の合った友と、うまいあてで飲みきる人生を過ごすこと、これが日本人の文化なのだ。


  おいしい酒

  うまいあて

  気の合った友

六湛寺再開発ビル 「ふじわら」 にて

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「わくわくするまち」

地球号 山田 耕司

  集合場所の石屋川駅の改札を出ると震災前と変わらない交番があって懐かしい。「神戸酒心館」への道程で震災の労苦を思い出しながら震災前の風景と比較する。  私にとって都賀川・石屋川・住吉川の河口付近に点在する酒蔵は、遊園地のアトラクションのような存在であった。震災後10年を経て、今も“わくわく”するこのまちが大好きである。

震災後の石屋川河口付近航空写真(山田 耕司氏)

 震災前に近郊の現場でオープンカットした断層を見に行った後、このまちの建物が気になり、震災直前の正月休みに、この界隈を歩いたときの風景が今も記憶に新しい。残念だが、平成7年1月17日の震災で、大好きな赤レンガ倉庫のレストランや酒蔵とその風景は、ほとんど姿を消してしまった。その後、「神戸酒心館」移転・オープンのお知らせDMが来たときは、本当にうれしかったのを思い出す。

  瓦礫の中から、まちの魅力が再現できたのは、風景・文化・文明・市民の想いが魅力的であるとともに、多くの市民や企業が震災前のような、「わくわくするまち」の復興を望んだ結果であると思う。

  私にとっての“わくわく”は、適度な距離に点在する美酒と本物の「酒」文化や人情味のある文明があり、それにふさわしい風景の中で散策しながら飲んで体験できることだろうか。この“わくわく”感は、ディズニーランドやUSJにも負けないものがある。そういえば、ディズニーランドの帰りによった体験博物館「千葉県立房総のむら」の方が楽しかったのが気がかりで、数年後にインドネシアのBali島の帰りにもう一度よってみたが、二度目も楽しかった「房総のむら」も同じような“わくわく”感がある。忘れかけた日本の風景や生活・むら社会の良さを体験できるからだと思う。

  生き物のような「まちづくり」が実を結ぶためには、そこで生活する市民の熱い想いを「まち」にする山本さん(案内役)のような存在が不可欠だと再認識しながら、歩き疲れた体に染み入る日本酒が心地よい有意義な一日であった。 


酒蔵の道(山田 耕司 氏)

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事例研 酒蔵めぐり

兵庫県  久光 弘記

酒蔵めぐりは、まちづくりの研究、酒づくりの研究、酒の味研究、施設研究など、さまざまな目的、人々を受け入れてくれる活動であった。

もちろん今回の企画では、まちづくり研究に次いで密かに酒の味(?)研究を行う予定で望んだのだが、強く興味を引いたことは酒蔵の経営であった。

 多くの酒蔵では、無料で酒に関する展示スペースを用意し、酒蔵の歴史や酒づくりについての説明パネルを掲示している。また一部では大掛かりな作業行程を説明する模型や映像ホールまで併設しておりパンフレットも準備している。また時には説明者が同行する。酒蔵めぐりをする人で、酒が嫌いな人はいないのだろう、試飲コーナーもタイミングよく用意してある。

一方、収入と取れるものとしては、ささやかな売店で酒、小物などのグッズを販売、中にはレストランの併設、ホールなどでの催しを企画している酒蔵もあったが、収入は多くないだろう。

もちろんこのようなスペース費、光熱費、人件費などを支出している目的は、企業(酒蔵)イメージのアップ、日本酒の理解者の拡大、売上アップなどであろうが、費用対効果がどれほど上がるのだろうか?

ある時期、企業が挙ってサロン、展示スペースをオフィスなどに併設し企業イメージアップを狙っている事例をいくつか見てきたが、私の知る限り、コスト面から多くがその運営内容を見直し、時には閉鎖している。

立地面から考えると、酒蔵群は国道43号以南にありイメージもそれほど良くない。また、震災以後に建設された巨大マンション群に、まちが圧倒されている。

はたして目論見は達成できるのか? この酒蔵群が、これからも存続していくこと、そして焼酎ブームと並び日本酒ブームが来ることも期待したい。

酒販売コーナー

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「街並み」+「食」+「ひと」が地域のブランド力を創る

アルパック(株)地域計画建築研究所 高田 剛司

今回の案内人、山本さん(地域問題研究所)から頂いた資料を見て、震災後、魚崎郷の酒造業者が11社から5社に半減!してしまっていることに驚かされた。中には、200年近く続く老舗も含まれている。跡地は1件を除きすべて集合住宅に変わっていた。

このようにして現在のまちの姿があるのだが、酒の「郷(ふるさと)」として、これからもそのブランドを保ち、発展させることができるかどうかは、個々の酒造業者の努力だけでは足りない。地域全体の取り組みが求められるだろう。

神戸市が発行している1枚のガイドマップ「灘の酒蔵」には、モデルルートが示され、まちには誘導標識や案内板も整備されている。しかし、震災によって街並みが大きく変わってしまった今日、この地図を片手に歩いても、案内や説明をしてくれる人がいなかったら、酒のまちという印象はあまり持てないのではないか。

魚崎郷の「景観形成市民協定」による、街並み復興の取り組みは心強い。加えて、地域の歴史や今を紹介してくれる「語り部」の人がいて、わがまち自慢をしてくれたら、まちはもっと輝きを増すと思う。地域のブランド力には、「街並み」+「食」+「ひと」の3点セットが要るのではないかと感じた半日だった。

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酒どころ「灘」はブランドではなかった?

                         大阪府 梶山 善弘

日本酒の生産日本一の石高を誇る灘であるが阪神淡路大震災と酒を巡る潮流が「灘」をブランドから陥落させてしまった。もちろん人によっては灘をブランドとみる向きもあるだろうが、現在の灘の状況はイメージとは大変異なるものであった。

 私は今回が初めての灘訪問である。想像していた都市景観は木造の造り酒屋が連なる風景であったが、それらは点在するものの灘と意識しなければただの工場地帯である。またラブホテルも立地し始めた国道43号沿道の無機的なイメージの街であった。

 大震災が残存していた酒蔵をほとんど破壊してしまったようである。中小の倉はそのまま廃業し、跡地はラブホテルになったり他の用途へと転換された。また生産量の大きかった酒造メーカーは元々近代的な「化学工場」を立地させていた。

 また震災前から日本酒は地酒が好まれる風潮が始まっていたが、灘は生産額が大きかったため逆にブランドではなく普通の日本酒の銘柄というイメージになっていたのである。

 バスによる観光ツアーなら新しくできた酒倉併設のレストランに案内されて「流石に灘やね」となるのだろうが、散策するとなると点在しすぎて連続した景観を楽しむことはできない。

もちろん将来に向けた取り組みに努力していることも紹介しなくてはならない。個々の倉では新しいお酒の開発に余念が無く、焼酎と同じ度数の25度のオンザロックで飲むものなどいくつか味わったものは美味しくもあり、着想の新しさに日本酒を見直したいという気にさせた。

また白鷹酒造の辰馬朱満子さんの主催する白鷹緑水苑文化アカデミーも印象に残った。

 だが灘のブランドは蘇るのだろうか?

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